自分の人生を振り返る 4

雑談
火焔熊
火焔熊

これまでは、家庭の苦労の話ばかりでしたが。やっと多少資産運用の元となるお金が絡むことが出てくる頃になって来ました。

ゆうちょ一千万輸送事件

 父の遺産について母に訊ねるも理解しておらず埒が明かず。そのため袋井の家に帰ったときに探しておいた固定資産税の通知書や、通帳等を確認して財産にアタリをつけながら相続作業を進めていった。その中でゆうちょに父の口座で一千万弱の預金がある事が判明。相続しようとするも、家族の誰のゆうちょ口座に振り込もうにも合計で一千万を超えてしまうので振り込みができないとの事(当時ゆうちょは預ける上限が一千万円までだった)。他に方法が無いか尋ねたが「現金で下ろすしかない」と郵便局の旭川駅前支店?の人に説明される(当時ゆうちょ銀行はゆうちょ銀行以外への振込が出来ない仕様だった)。まぁ、しょうがないので現金で下ろす手続きをお願いするも、そんな大量の現金は支店レベルでは用意できないので旭川中央郵便局に行ってくれと言われる。正直めんどくさいと思いながらも旭川中央郵便局に行き現金を受け取りに行くも、別室には呼ばれず、普通のカウンターで1千万弱を渡された。その際に、「何故こんなに大金を降ろされるのですか?」とゆうちょ銀行の職員に言われ絶句したと記憶している。

 そういえば、この時人生で最初で最後の約一千万の束をリュックに詰め込む体験をした。そしてこれをみずほ銀行まで運んだ。正直生きた心地がしなかった。目に映る人すべてが泥棒に思えたことを記憶している。長い旅路(700m)を終え、みずほ銀行まで無事たどり着き、一千万弱の現金をみずほの職員に差し出す。俺は勝ったんだ・・・やり切ったんだ。と思ったのもつかの間、猜疑心全開のみずほ職員からの尋問が始まる事となる。

ただ、この一千万が後のFI達成の大きな軍資金となったのは言うまでもない。

研究と投資

 この頃は旭川医大の第二生理学講座で共同研究をさせてもらっていた。この頃は母の介護をし、研究をさせてもらって、土日はバイトをさせてもらって本当に充実した毎日を過ごさせてもらった。忙しかったが、気持ちの良い日々だったと思う。

 それと同時に父の遺産を基にSBIイー・トレード証券で株式投資を始めた。当時何に投資してよいのかわからなかったけど、とにかく円だけですべて持っているのが不安だった。そして就職氷河期の話が私の未来を暗く暗示していた。若者を切り捨てる日本という社会を表す円にが信頼が持てなかった。だから株式に分散する事にした。そしてこの時に出会ったのが木村剛さんの著書「投資戦略の発想法」だ。基本的にはこの著書が私の今の投資方針の基礎となっている。

就職氷河期中の就職活動

 就職はうまくいかなかった。就職氷河期は伊達では無かった。希望する研究職は私の能力では届かなかった。どこの上場企業も母の介護をしなければならない上、ずば抜けた能力があるわけでもない私に内定を出す事は無かった。仕方が無かったので研究職は諦めて就職活動をし、地方の静岡県で就職をした。

スピリタス料理酒事件

 大学院を修了し静岡県で就職する事となったため、北海道を離れる準備を年明けから少しずつ始めていた。修論提出の直前までいろいろやる事はあるため、忙しくて母の監視は甘くなりがちだった。

 ある日事件は起こる。研究を終え家に帰ると母が煮物を作っていた。なんだか酒臭い。母に「アルコール消毒とかした?」と聞いた瞬間、けたたましい警報機の音が発生。どうやら母は私が保存していたスピリタスを料理酒として使用したようだった。どれ位入れたのかはわからない。かなりの量を入れたのだろう。蒸発したアルコールはガス警報器を鳴らした。

 サイレン発動(史上2回目)につき、管理人よりキツくお叱りを受けた。ちなみに煮物は普通に日本酒位のアルコール度数はあったのでとても食べられなかった。

就職と結婚

 めでたく修論を書き上げ、大学院を修了して就職。そして間もなく当時の彼女である妻と結婚した。母と同居せざるを得ない事を快諾してくれた妻には今でも感謝している。そして投資についても寛容だった。今があるのは妻のおかげでもある。

リーマンショック

 就職して少ししてリーマンショックが発生。持ち株は4割吹き飛んだ。当時は自分の年収を超える金額が吹き飛んだのでかなりへこんだ記憶がある。仕事なんぞ手につかなかった。とはいえ、当時は若さがあり、損失も自分の年収程度だったので、一年働けば取り戻せると思うと1週間くらいでメンタルは回復した。

 あと、セゾン投信と出会い世界中に分散投資すると言うコンセプトに共感し、積立投資をし始めたのもこの頃だ。私の海外投資の門戸を開いてくれた中野元社長には感謝している。

東日本大震災

 リーマンショックの傷跡が時間をかけて治り始めてきたころ、あの東日本大震災が起こる。当時舞浜は液状化で酷い事になっていた。ディズニーリゾートも負傷者を出すことは無かったが、その後1ヵ月の休園を余儀なくされた。しかし2011年、私はここで大勝負に打って出ることにした。OLC(4661)を買う事にしたのだ。

  • リーマンショックや震災後も殆ど株価が落ちなかった
  • ディズニーリゾートの躯体はあまりダメージが無かった
  • 当時ディズニー社は魅力的なコンテンツが出ていなかったがOLCの利益は順調に伸びている
  • 今後、日本以外のアジア圏の旅行客の需要が見込める
  • 株主優待でTDR行き放題(当時500株で年10人分)

上記の理由のため損をする可能性は低いと考え、当時7,000円未満で1,400株購入した。1,000万位買った。我ながらアホやったなと思う。

妻はUSJ派

 初めて株主優待が来た日、妻に「株主優待が入ったからディズニーランドいつ行こうか?」と聞くと、「TDRあまり好きじゃない。USJの方がまだ行く気がする。」と門前払いを受け玉砕。毎年10枚のフリーパスチケットをヤフオクで捌く事となる。その後転売についても対策され、それからは東京の友人にタダで譲る事となる。

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