【歴史の波を生きた証】「祖父年表」から読み解く、激動の時代と一人の男性の生涯

雑談
火焔熊
火焔熊

家族の歴史を振り返るなかで作成した「祖父の年表」。 そこには、教科書でしか知らなかった「歴史上の出来事」と、それに翻弄されながらもたくましく生きた祖父の足跡が、克明に刻まれていました。 明治41年(1908年)に生まれ、昭和62年(1987年)に79歳で生涯を閉じるまで。祖父が歩んだ79年間の軌跡を、当時の時代背景とともに振り返ってみたいと思います。

祖父の生きた頃の年表

 年表にしてみると祖父には歴史的なイベントが多数あったんだなと気づきます。私は祖父には数回あった程度であまり知らず、ちょっと怖い人だなという印象しかありませんでした。母からは祖父は年金をもらっておらず恩給というのを貰っているという事だけは聞いた覚えがあります。

歴史上の出来事祖父
年齢
祖父イベント
1908/06/300誕生
1909/10/26伊藤博文暗殺1
1910/08/22韓国併合2
1914/07/28第一次世界大戦 開戦6
1918/11/11第一次世界大戦 休戦10
1922/03/3113熊本県阿蘇郡坂梨尋常小学校卒業
1922/04/0113熊本県熊本九州学院入学
1923/09/01関東大震災15
1927/03/3118熊本県熊本九州学院第五学年卒業
1928/04/0119明治大学本科商科専門部第一学年入学
1929/10/29世界恐慌21
1931/3/3122明治大学本科商科専門部卒業
1932/2/123歩兵一等兵 幹部候補生
1932/5/123歩兵上等兵
1932/3/1満州国建国宣言23
1932/5/15五・一五事件23
1932/11/2624歩兵軍曹となる
1932/12/124招集解除
1935/3/3026陸軍少尉
1937/7/7日中戦争開戦29
1938/9/2730臨時召集により第13聯隊補充隊?????
1939/9/3第二次世界大戦 開戦31
1939/12/2531独立混成第一八旅団第96大隊付
1940/8/132陸軍中尉
1941/8/2533歩兵第四十五連隊補充
1941/12/8真珠湾攻撃33
1942/6/5ミッドウェー海戦33
1942/9/3034召集解除
1942/11/634祖母と結婚
1943/10/2835臨時召集により歩兵第十三連隊補充
1943/10/3035歩兵第二十三聯隊
1943/10/3035歩兵第二十三聯隊
1943/11/135門司港出港
1943/11/135スンバ島上陸
1944/1/1535スンバワ島出帆
1944/10/1136スンバワ-ビマ上陸
1945/4/336スンバワ-ビマ出港
1945/4/2036陸軍大尉
1945/4/2836?南防衛司令部付
1945/7/1037第二十九軍司令部付
1945/8/14ポツダム宣言 受諾決定37
1946/6/437レンパン島出発
1946/6/1537名古屋上陸
1946/6/1637復員
1948/1/1039次男(父)誕生
1964/10/10東京オリンピック56
1970/3/15大阪万博61
1987/7/579死去
祖父と歴史上の出来事年表

熊本から東京へ。学問に励んだ青春時代(明治41年〜昭和6年)

  • 1908年(明治41年)6月30日:誕生
  • 1922年(大正11年):熊本県阿蘇郡坂梨尋常小学校 卒業/九州学院 入学
  • 1927年(昭和2年):九州学院 卒業/明治大学本科商科専門部 入学
  • 1931年(昭和6年):明治大学 卒業

 阿蘇の豊かな自然のなかで育った祖父は、地元の坂梨尋常小学校、九州学院を経て、18歳で上京し明治大学へ進学しました。 この時代は、1923年(大正12年)に関東大震災が発生し、1929年(昭和4年)には世界恐慌が世界を襲うなど、社会全体が激動の渦中にありました。そんな不穏な空気が漂い始めるなかでも、祖父は商学の学びを深め、自身の未来へと突き進んでいました。

陸軍への入隊と祖母との結婚(昭和7年〜昭和17年)

  • 1932年(昭和7年):歩兵一等兵(幹部候補生)〜歩兵軍曹〜召集解除
  • 1935年(昭和10年):陸軍少尉
  • 1938年(昭和13年):臨時召集(日中戦争激化のなか)
  • 1940年(昭和15年):陸軍中尉
  • 1942年(昭和17年)11月:祖母と結婚

 大学卒業後、昭和7年に祖父は軍隊に入隊します。満州国建国宣言や五・一五事件が起きたまさにその年でした。

その後一度は召集解除となるものの、日中戦争の開戦(昭和12年)に伴い、昭和13年に臨時召集されます。階級も少尉から中尉へと昇進していきました。 そして激動の時代の合間を縫うように、太平洋戦争開戦翌年の昭和17年11月、祖父はお祖母ちゃんと結婚しました。戦火が激しさを増すなかでの結納・挙式は、どのような思いだったのでしょうか。

南方の地での従軍と復員(昭和18年〜昭和21年)

  • 1943年(昭和18年)11月:門司港より出港〜インドネシア・スンバ島上陸
  • 1944年(昭和19年)〜1945年(昭和20年):スンバワ島・ビマなどを転戦/陸軍大尉昇進
  • 1945年(昭和20年)8月14日:ポツダム宣言受諾(終戦)
  • 1946年(昭和21年)6月:レンパン島出発〜名古屋上陸・復員

 結婚からわずか1年後の昭和18年秋、祖父は門司港から南方の地へと出征していきました。

行き先は遠く離れたインドネシアのスンバ島やスンバワ島。過酷な南方の地で終戦を迎え、陸軍大尉として部隊を率いていました。終戦後もすぐに帰国できたわけではなく、レンパン島などを経て、日本の土(名古屋)を踏めたのは終戦から約1年後の昭和21年6月のことでした。 無事に復員を果たしたときの安堵感は、言葉では言い表せないものだったはずです。

 下記は召集解除証明書です。

戦後の平和と家族のあゆみ(昭和23年〜昭和62年)

  • 1948年(昭和23年):次男(私の父)誕生
  • 1964年(昭和39年):東京オリンピック
  • 1970年(昭和45年):大阪万博
  • 1987年(昭和62年)7月5日:死去(享年79歳)

終戦から2年後、昭和23年には次男(私の父)が誕生。焦土からの復興を目指す日本のなかで、祖父は家族とともに新たな歩みを始めました。

昭和39年の東京オリンピックや昭和45年の大阪万博など、日本が目覚ましい高度経済成長を遂げていく姿を、祖父はどのような眼差しで見つめていたのでしょうか。過酷な戦争を生き抜いたからこそ、訪れた平和な時代の輝きをひとしお深くかみしめていたのかもしれません。

昭和62年7月、祖父は79年の生涯に幕を下ろしました。

年表を振り返って感じたこと

今回、こうして祖父の年表をまとめてみて、改めて「今の私たちの平和な日常は、過酷な時代を生き抜いてバトンを繋いでくれた先人たちのおかげで成り立っている」ということを痛感しました。 教科書の歴史の陰には、一人ひとりの人間が生きたリアルなドラマと家族の歴史が存在しています。祖父が残してくれたこの足跡を、これからも大切に語り継いでいきたいと思います。

下記は祖父が貰っていた恩給の証書です。本当は総務省恩給局に帰さなければいかんのだと思いますが、もう今更良いでしょう。

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