自分の人生を振り返る 2

雑談
火焔熊
火焔熊

アイキャッチの絵は、生成AIのCopilotに人生というテーマで描いてもらいました。

当時子供の頃私は他の家に比べてちょっと貧しい位なんだなと思っていたものの、大人になった今思うと当時は周りと比べて結構貧しい生活をしていたのだなと思います。今思えば、我が家の経済状況は別にそんなに困窮していなかったと思うのですが、親が普通の生活が贅沢だと思う人だったのでしょうね。

貴重だった外食

 自分が家庭を持ってからは外食は月に1~2回はするようになった(ショッピングモールのフードコートも含む)が、我が家は外食は本当に特別な時のみだった。家族総出で外食に行くのは年に1回あるか無いかのイベントで、決まって行くのは近所の町中華だった。当時行くのはとても珍しかったからか、本当に美味しくて楽しかった思い出。大人になってあの感動を味わいたくて再度同じ店に行ってみたが普通の町中華の味でさしたる感動は無かった。これは大人になって自分の舌が肥えたからなのか、代替わりしたから単に味が落ちたからなのかはわからない。

家庭の食事は主菜とごはんのみ

 我が家の食事は基本的にごはんと主菜(or 汁)のみだった。家庭科や給食で主菜副菜云々とかがある事はもちろん知っていたが、家庭ではご飯とおかずは必ず1対1で出るのが普通だと思っていた。白米とおから(夕食)とか普通だったし、なんならジャガイモしか入ってないお好み焼きだけ(夕食)とかもあったので、母の思う食事は基本的には腹さえ一杯になれば良いという思想設計だったのだと思う。ただ、量に関しては異常な執着があって、どんぶり一杯の米とどんぶり一杯のおかずといった感じで提供された。おまけに残すと烈火のごとく怒りだすので始末が悪い。

おかげ様で少年期はずっと肥満児気味だった。中二の時の体重は75kgを超えていた。クラスでは比較的人気者の立ち位置だったため、いじめられる事は無かったが、仲が良くない人間にはデブだのなんだの言われていたような気がする。ビジュアルは学生のヒエラルキーにおいて割と重要なので、学生生活の立ち位置によってはいじめられていたと思うとぞっとする。

アル中の父が単独事故で免許取り消し

 父はアルコールが好きだった。度を越えていたと思うほどに好きだった。休みの日には家でも昼から飲んだくれていたし、まぁ当然外でも良く飲んで帰ってきた。このように父は昔からアル中だったので、免許取り消しとなったのは当然の結末と言える。むしろ人を巻き込む前に免許取り消しになってくれてよかったと思う。小学校に上がった位の頃だろうか、父はビールで酩酊状態になって原付で単独事故を起こして免停となってそのまま免許取り消しとなった。肩から逝ったようで肩の傷がかなり広範囲の擦り傷になっていてなかなかグロテスクな見た目になっていたのを憶えている。アルコールは後の父の死因にも密接に関係するのだが、この頃からその素因が十分にあったことを物語っているエピソードだろう。

父はまだ生きていたころ、定年後に運転免許の再取得をしたいとよく言っていたなと、今でもたまに思い出す。

父が休日連れて行ってくれる所

 父が休日に連れて行ってくれるのはいつも競艇場だった。競艇場の子供の遊ぶコーナーでトランポリンとかをしながら1日中遊んでいた。この日は競艇場の食堂でご飯が食べられるので、美味しいものが食べられるし、子供のコーナーは割と空いているので遊具を好きなだけ楽しめるし、楽しかったのを憶えている。当時は連れて行ってくれる父親に感謝していたが、子を持った今ではたまにはもっと良いところに連れて行ってやったれよと思う。

花火

 夏は親父が早く帰っていて機嫌が良ければ、花火ができる事があった。花火は決まって野球中継が終わった後だったが、巨人ファンだった父は巨人が負けると花火をしてくれなかった。だから夏場は巨人が勝つのを必死に願っていた気がする。親父は若い頃いた大阪が大好きだったので、そこは阪神ファンになるべきやろ。と今では思う。

学校からの急病の連絡を迷惑がる父

 小学三年生の時に風邪で39℃の発熱があり、迎えに来てもらうために先生に父の勤務先を伝えるも、父は連絡されても迷惑だと言って電話を切ったと先生より伝えられた。当時の父親なんて皆そんなもんだったのかもしれないが、その断り方に子供ながらにショックだった。せめて母のパート先とかに伝えなさいよ・・・。

進路について相談できる家族は誰もいなかった

 母からは医者になれとよく言われた。東大は無理だろうけど医者なら何とかなるやろみたいな話をされていたように思う。学部選ばずに東大に行くよりも医者になる方が偏差値高いのだけど・・・まぁ、その程度の知識(中卒)なのでしょうがないが、母は中学や高校への進学などの岐路に相談しても「頑張って勉強して医者になれ」位しか言わなかった。そもそも医者になる事の良さについて説明もなく、母も一般人が金持ちや地位名声を得る手段としか考えてなかった感はある。父もまぁ、人に自慢できる職業がええなぁ位の事しか言わないので進路の相談をしても当てにならなかった。



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