
これまでは家庭環境のドタバタと苦労話ばかりでしたが、ここへ来てようやく、私の人生の転換点となる「お金(資産運用)」の話が絡み合ってきます。クソみたいな人生の泥沼から脱出するための、反撃の狼煙が上がります。
ゆうちょ1千万円「リュック護送」事件
父親が亡くなり、遺産について母親に尋ねるも、精神状態もあって要領を得ず拉致が明きません。仕方なく静岡の実家に帰った際、家中をひっくり返して固定資産税の通知書や通帳を捜索し、財産の目星をつけながら相続手続きを進めました。
その過程で、父親の名義でゆうちょ銀行に「1千万円弱」の預金があることが判明します。 さっそく相続しようとしたのですが、ここで当時のゆうちょの「預入限度額(1千万円)」の壁が立ちはだかります。家族の誰の口座に移そうにも、合算すると上限を超えてしまうため振込ができないというのです。
他行へ振り込めないか食い下がりましたが、当時はまだゆうちょ銀行から他行への振込ができない仕様の時代。窓口の職員からは非情な一言が返ってきました。 「現金で下ろしていただくしかありません」
そんな大金、支店レベルでは用意できないと言われ、わざわざ旭川中央郵便局まで出向く羽目になりました。 「強盗に遭わないように別室にでも呼ばれるのだろうか」と緊張していたのですが、通されたのはまさかの普通のオープンカウンター。職員から白昼堂々、1千万円弱の札束をドンと手渡されました。しかもその際、職員から「……あの、なんでこんな大金を降ろされるのですか?」と猜疑心の塊のような目で尋ねられ、不審者扱いされた私は絶句しました。
人生で最初で最後、1千万円の札束をリュックサックに詰め込むという緊迫のミッションがスタート。目指すは700メートル先のみずほ銀行です。 道中、すれ違う人間すべてが泥棒や刺客に見え、生きた心地がしませんでした。
命からがらみずほ銀行にたどり着き、受付で札束を差し出した瞬間は「俺は勝ったんだ、やり切ったんだ……!」と脳内で勝利のファンファーレが鳴り響きました。まあ、その直後、今度はみずほの職員から「この大金は一体どこから?」と、またしても猜疑心全開の尋問を受けることになるのですが。
何はともあれ、この決死の思いで運んだ1千万円が、後のFI(経済的自立)達成における最大の軍資金となったのは言うまでもありません。
旭川での充実と、投資家としての産声
この頃の私は、旭川医大の第二生理学講座で共同研究をさせてもらっていました。 家では母の介護、昼は研究、土日は生活費のためのアルバイトと、文字通り息つく暇もない限界スケジュールでしたが、不思議と心は充実しており、気持ちの良い日々を過ごしていました。
そして同時に、父親の遺産を軍資金にして「SBIイー・トレード証券(現SBI証券)」に口座を開設し、株式投資をスタートさせました。 当時は何に投資していいか全く分かりませんでしたが、迫り来る就職氷河期の足音が、私の未来を暗く暗示していました。「若者を平気で切り捨てる日本社会の通貨(円)だけで資産を持っているのは危ない」という強い危機感だけはあったのです。
そんな時に出会ったのが、木村剛氏の著書『投資戦略の発想法』でした。この本との出会いが、現在に至る私の投資方針の確固たる基礎となっています。
氷河期の就職活動と、史上2回目のサイレン事件
しかし、現実は甘くありませんでした。就職氷河期は伊達ではなかったのです。 私の能力では、希望する「研究職」の席には到底届きません。どの上場企業も、ずば抜けた能力があるわけでもなく、その上「母親の介護」というバックグラウンドを抱えた私に内定を出すことはありませんでした。
やむなく研究職の道は諦め、地元である静岡県の企業にターゲットを絞って就職活動を行い、なんとか内定を勝ち取りました。
大学院の修了と静岡への就職が決まり、年明けから少しずつ北海道を離れる引っ越し準備を進めていましたが、修論提出の直前ということもあり、あまりの忙しさに母親への監視の目が甘くなっていました。
ある日、研究を終えてワンルームの部屋に帰ると、母がキッチンで煮物を作っていました。なぜか部屋中が異常なほど酒臭い。 嫌な予感がして、母に「……ねえ、アルコール消毒かなんかした?」と聞いた瞬間でした。
ジリリリリリリリリイイイイイイッッ!!!
部屋に設置されたガス警報器が、狂ったように鳴り響きました(人生2回目のサイレン発動)。 なんと母は、私が部屋に大切に保管していた世界最高純度のスピリッツ『スピリタス(アルコール度数96度)』を、こともあろうに「料理酒」として鍋にドボドボと投入していたのです。どれだけ入れたのか知りませんが、大量に蒸発した高濃度アルコールガスに警報器が過剰反応したわけです。
夜中に鳴り響くサイレン。当然、管理人さんからはキツいお叱りを受けました。ちなみにその煮物は、普通に日本酒レベルのアルコール度数を保ったままで、とても人間が食べられる代物ではありませんでした。
就職、結婚、そしてリーマンショックの洗礼
紆余曲折を経て修論を書き上げ、無事に大学院を修了して静岡で就職。そして間もなく、大学時代から支えてくれた彼女と結婚しました。 「母親との同居」という、20代の女性にとってはあまりにも重い条件を快諾し、私の投資活動にも寛容でいてくれた妻には、今でも感謝してもしきれません。今の私があるのは、間違いなく妻のおかげです。
しかし、新社会人生活がスタートして間もなく、世界を揺るがす「リーマンショック」が勃発します。
私の持ち株の価値は、一瞬にして4割が吹き飛びました。当時の自分の年収を超える金額が電子の海へ消えていくのを見て、かなりの大ダメージを受けました。当然、仕事など全く手につきません。 とはいえ、当時はまだ若く、「最悪、1年必死に働けば取り戻せる金額だ」と割り切れたため、1週間ほどでメンタルは奇跡的に回復しました。
この大暴落の時期に『セゾン投信』と出会い、「世界中に分散投資する」というコンセプトに深く共感し、積立投資を始めたのも大きな収穫でした。私の海外投資への門戸を開いてくれた中野晴啓元社長には、今でも感謝しています。
東日本大震災の激震と、OLC1,000万円の大勝負
リーマンショックの傷跡が数年かけてようやく癒え始めた2011年、あの東日本大震災が起こります。 東京ディズニーリゾートがある浦安市舞浜地区は液状化現象で悲惨な状態となり、パークも約1ヶ月の休園を余儀なくされました。
世間が自粛ムードと株価低迷に包まれる中、私はここで人生最大の勝負に出ることを決意します。 オリエンタルランド(4661)の株を、買えるだけ買う。
私がそう決断した理由は以下の通りでした。
- リーマンショックや震災直後という未曾有の事態でも、株価がほとんど底割れしなかった強さ
- 現地を確認すると、パーク内の建物の躯体にはほとんどダメージがなかったこと
- 当時、本家ディズニー社からは目立った新規コンテンツが出ていなかったにもかかわらず、OLC単体の利益は順調に伸び続けていたこと
- 将来的に、日本国内だけでなくアジア圏からのインバウンド需要が見込めること
- そして何より、当時の株主優待が「500株で年間10人分のパスポート支給」という大盤振る舞いだったこと
「これだけの好条件が揃っていれば、長期的に見て損をする可能性は極めて低い」 そう確信した私は、当時株価7,000円未満だったOLC株を、なんと1,400株購入しました。金額にして約1,000万円。ゆうちょからリュックで運んだあの遺産を、ここに全額突っ込んだのです。今振り返っても、我ながら凄まじい狂気と度胸だったと思います。
妻の「私はUSJ派」という非情な宣告
投資としては完璧な勝利を確信し、ついに念願の「株主優待パスポート」が家に届いた日。私は満面の笑みで妻に言いました。 「見て!ディズニーの優待が入ったよ!いつ行こうか?」
しかし、妻から返ってきたのは、ディズニーの魔法を一瞬で吹き飛ばす冷徹な一言でした。 「私、ディズニーあんまり好きじゃない。USJの方がまだ行く気がする」
見事なまでの門前払いで玉砕しました。 結局、毎年送られてくる10枚のフリーパスチケットは、しばらくの間ヤフオクで淡々と捌くことになりました。その後、パーク側の転売対策が厳しくなってからは、東京に住む友人にタダで譲るという、ただの「太っ腹な聖人」と化すことになります。







